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2018年2月4日(日)
国立地域支部の新年会が開催される ~話題の中心はラグビー大学選手権~

2018年2月4日(日)国立ブランコ通りの中国料理「香来」で20名が参加して、新年会が開催されました。
初めて参加された方の自己紹介や若手会員からの近況報告を経て、歓談に移りました。
「正月に箱根の駅伝に母校の参加がなかったのは寂しい」といった声
も聞かれましたが、話題の中心はラグビー大学選手権決勝でした。
「よく頑張った」という話もある一方で、「ミスした3本のキックが1本でも入っていれば優勝だったのに」という声も聞かれました。
春からチームをずっと見ている自称「八幡山オヤジ」の端くれの私は少し違った印象で、決勝戦後の古川キャプテンの発言に全く同感です。
 
——ゴールキックが入っていれば勝てたが?
 
「(キッカーの)堀米がすごく泣いていて、『俺が1本でも決めていれば』と。キッカーは大事な場面で蹴る勇気がある人ですし、何も言うことはありません。堀米は今日の試合でもキックで前に出してくれて、タックルでも身体を張ってくれたので、何も言うことはありません」
 
——19年ぶりの決勝戦は?
 
「(19年前は)僕らとしては、正直、生まれたばかりの時なので。でも、明治大学のOB、OGの応援のおかげで、19年ぶりにここに来ることができたと思います。今まで、ミスをしたら野次が飛んできましたが、今日は『ドンマイ、次、次』と声がかかりました。やっていて楽しかったし、明治大学を選んで良かったと思います。次は22年ぶりの優勝をして、OB、OG に恩返しができると思います」
(日本協会ホームページより)
https://www.rugby-japan.jp/2018/01/08/univ_teikyo_meiji_press_conference_report/
 
昭和61年の正月の大学選手権の慶應との決勝では、南キャプテンがゴール前でPGを選択して同点に追い付き、両校優勝となりましたが、抽選で慶應が日本選手権に進むことになりました。(慶應は日本選手権で優勝)
ロッカールームに引き上げてきて南キャプテンは北島監督から「あれはスクラムだった。どうしてスクラムを取らなかった」と言われて黙っていると、北島監督はニッコリと笑顔で「いい勉強をしたな」と言われたそうです。
北島監督は常々「勝つためではなく、胸を張るために」、「フェアに徹せよ」と言われていたそうです。
そういう意味では今シーズンはすべてを出し切り、シンビン(一時退場者)もなく正々堂々と戦った北島イズムを体現したチームではなかったかと思います。
北島監督ならばタバコを燻らせながら「良いゲームだった」と言われるに違いありません。
私も、久々に長いシーズンを楽しませて貰って、感謝の一言に尽きます。
長々と大学選手権決勝の話を書きましたが、再び新年会に戻ります。
最後は、参加者全員でスクラムを組んで校歌を歌い、あっという間に中締めを迎えました。
 

【お知らせ】
国際交流試合が下記により開催されますので、ぜひ会場へ足をお運びください。
・シドニー大学RC VS オール明治大学
2月17日(土)
江戸川区陸上競技場(無料試合)13時キックオフ
http://www.meijirugby.jp/topics_detail2/id=1150
 

越智 浩治

 

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2018年2月3日(土)
明治大学ラグビー部の卒部試合観戦記

2018年2月3日(土)ラグビー部の卒部試合に行ってまいりましたので報告いたします。
大学選手権決勝の帝京大学との激闘から1か月。
まだ、雪の残る八幡山のグラウンドで4年生の卒部試合が行われました。紫紺のジャージの4年生チームに、1年生、2年生、3年生の順に試合が行われました。
4年生チームはバックスの選手がフォワードに入ったり、フォワードの選手がバックスに入ったりして、また、女子トレーナーも参加して、最後は全員でモールを組んでトライ。
コンバージョンは古川キャプテンが決めて、ノーサイド。
試合終了後に部員全員で円陣を組み、古川キャプテンから3年生以下の部員に、果たせなかった日本一への夢が託されました。
 
越智 浩治
 


 

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2018年1月26日(金)
“歌の広場”ボランティア活動中


「花も嵐も踏み越えて…」大きなうたごえが聞こえます。
「桜で有名な根川緑道を越えて立川球場から大きな声援が聞こえてきます。
丁度高校野球の予選で日本ハムに入団した早実清宮選手への声援です。」
我々は「いつだって青春、青春真っ只中、私たちのうたごえを野球場まで届くよう大きな声で歌いましょう」。演奏会のスタートです。

私の家内のホーム入所支援から、快諾していただいた4人のメンバーで2016年6月にボランティア歌(*1)の広場としてスタート、隔月なのでこの2月で1年8か月、11回を数える。他に春と秋ミニ・コンサートを開催しています。メンバーは今や8人の大所帯です。
活動場所は至(*2)誠ホーム・アウリンコのデイホームで対象は約35~40名。
開催日の集合は午前10時30分、午後1時30分からの本番を前に伴奏者を中心に利用者目線で入念な打合せ・練習である。テンポ・スピード・キー・間奏の要否等々毎回2時間かけている。併設の食堂で麺類の昼食、たまにはファンの追っかけから団子、お稲荷さん等の差し入れもあります。
そして1時には演奏機器の搬入・歌詞カードの掲示・鳴り物楽器の点検を終え
冒頭の「旅の夜風」となるのです。
 


 
前半8曲、後半8曲合計16曲、童謡・唱歌・流行歌・抒情歌・フォークみんなで選んだ選りすぐりの曲ばかり。“たき火”では手の運動…グー・チョキ・パー・ポンを採りいれたり、“いつでも夢を”では男女の歌い分けをしたり、“紅葉”では輪唱をするなど工夫もしています。
圧巻はハーフタイムです。歌唱担当のソロです。学生時代から混声四部OBのいわばプロ多摩市、藤川さんの“あざみの歌”、元小平の男声合唱団団長、川嵜さんは“街の灯り”、さすがに多摩支部のトップアーティスト、歌い終わっても拍手鳴りやまずの大盛況。カラオケ十八番の国立の川野辺さんはバタヤンこと田端義夫の“かえり船”、最前列の男性が2,3番を歌詞カードも見ないで一緒に歌い、終わると涙ぐんでいました。歌の力ってすごいですね。最後は高原さん演奏で“UHO”、するとスタッフ8人が歌と踊りに参加していただき、利用者もサプライズに拍手大喝采でした。
締めくくりは故郷 「ではまたお元気で。」となるのですが、様々な声が聞こえてきます。「ブラボー」「新雪を歌ったら亡き主人を思いだして泣いちゃった」「今度菅原洋一を歌って」「ソロを増やして」「野ばらでもワグナーをね」とハイタッチなどもあり、みんなの素晴らしい笑顔、明るい声が会場いっぱいに広がっています。“元気を”と訪問したにもかかわらず、毎回逆に全員が元気を目いっぱいもらって帰ってきます。
話しは変わりますが、老いてもボケない3つのことは
① 仕事を持っていること(ボランティアを含む)
② 趣味を持っていること
③ 家族以外の人と話ができること
これらを踏まえ、ホームの方々に喜んでもらえるならば“明治はひとつ”
メンバーの絶大な協力をいただきながら“継続は力なり”、男性中心の渋さと力強さをメーンにボランティア活動を続けて行きたいと願っている次第です。
反省会は“国立名物うなちゃん”かな。

*1 歌の広場メンバー(コーラスグループ)
現在は川嵜信行(小平・1961経営)川野辺博(国立・1964政経)髙原真人(1971東京大工、唯一の他大)田代さとみ(国立・1984政経)圓谷和功(国立・1961法)沼尻哲(国立・1971商)藤川忠博(多摩市・1965商)松浦高明(国立1964政経)の8人。(東大1&明治7)スタートは川嵜・髙原・沼尻・藤川の4人。

*2至誠ホーム
正式名称は社会福祉法人至誠学舎立川 至誠ホーム。1912年設立、今年で106年目、軽費・特養・高齢者住宅・サ高住・ケアハウス・グループホーム・小規模多機能を立川、国分寺、調布で展開、更に幼稚園・保育所・障害者施設等
収容定員430名、診療所を併設し、全職員628名、ボランティア月1,200名を有する多摩地区最大級の高齢者施設・老舗である。またアウリンコはフィンランド語で太陽のこと。

国立地域支部 沼尻 哲

 

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