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2019年6月22日(土)
明治大学東京六大学野球春のリーグ戦優勝戦、全国大学野球選手権優勝戦の応援と祝勝会に参加して

 六大学野球春のリーグ戦、5月26日法政との第2戦、8-7で逆転勝ち、勝ち点5で六大学野球5季ぶり40回目の優勝を果たしました。2回まで7点取られ、負けを覚悟しましたが、その後8回まで8点奪い逆転、行けるぞと満員のスタンドが沸き、9回はエース森下が3者凡退で締め、満員のスタンドは青いテ-プが飛び交い興奮のるつぼと化しました。5季ぶりの優勝で、みんな肩を組み校歌、神宮勝歌を神宮の森に響かせ、久しぶりに優勝の雰囲気を味わいました。さあ、次は全国大学選手権だと心に思い神宮外苑を後にしました。
 全国選手権は準々決勝の東洋大が厳しいと思いましたが、キャプテン・エースの森下が3-0シャットアウトで抑え、これは決勝にいくぞと思いました。
 準決勝は東農大オホーツクだから、勝ちは固い。6月26日決勝は仏教大(京滋代表)、よほどの事がない限り負けはあるまい、と思いつつ神宮球場に向かいました。3回まで3点先取し、先発森下はゼロで抑え続け、これは順調と思っていましたが、その後なかなか追加点が取れません。相手は各回ヒットを確実に打ってくるので、何か嫌な感じがありました。しかし最後の最後9回に打線が爆発して3点の追加点を挙げ、佛教大も最終回1点を返しましたが、6-1の大差で勝ち38年ぶりに大学選手権優勝を遂げました。応援席は六大学野球リーグ戦程ではないものの、平日の月曜日にかかわらず結構多く、みんな立ち上がったまま、声をからして応援を続け、エール交換の校歌を歌った際には胸にこみ上げるものがありました。試合後の閉会式では最高殊勲選手、最優秀投手に森下選手が選ばれ、首位打者賞は北本選手が獲得しました。優勝旗、カップ、選手全員へのメダル授与、応援席の我々も大変誇らしく思いました。
 6月21日は祝勝会です。6時から優勝パレードが行われました。応援団女子を先頭に、選手の持つ優勝旗、優勝杯に続き多くの学生、OBが駿河台下、スズラン通りをパレードして沿道の人たちから、拍手、おめでとうの喝さいをあびて学校(リバティタワー)に戻ってきました。
 6時40分祝勝会が始まりました。リバティタワーの1階ホールは超満員、立見席、2階席も一杯。私は祝勝会には4,5回行っていますが、こんなにたくさんの人で一杯になったのは初めてのことです。学長、理事長、善波監督あいさつ、選手紹介、選手代表(副将北本選手、森下キャプテンは日米野球出場のため欠席)あいさつの後、応援団のスペシャルステージでは応援歌が次々に演奏され、手拍子を打ち、まるで神宮球場の応援そのものでした。最後の校歌斉唱では全員で肩を組み「おお明治その名ぞわれらが母校」と声をからして歌い、最高の盛り上がりとなりました。
 森下君は1年生の秋に、府中の野球グラウンドと合宿所の見学会を開いた時案内してくれて「善波監督が大分に来て明大に入学するよう勧めて下さった事。今、柳投手(現在 中日)と同じ部屋である事」などを歩きながら話してくれました。今年の秋のリーグ戦でも優勝し、プロ野球ドラフト会議で是非1位指名を獲得して欲しいと思っています。 
 私は昭和36年に明治大学に入学しました。確か、昭和27、8年頃、小学校5,6年の頃です。当時東京六大学野球の試合がラジオで放送されていました。その時明治大学の校歌を何回も聞き、明治大学の名前がしっかりと頭に刻まれ心に留められました。大学を受験した時は、明治大学だけ受験し、他大学は全く考えませんでした。
 昭和28年は、明治大学が戦後初めて優勝した時だと思います。その時のキャプテンでエースが、現在、校友会多摩支部や国立地域支部の相談役を務められている岩﨑岩夫さんです。齢90歳の現在も、校友会の活動にお元気に参加され、いろいろなアドバイスをして下さいます。丈夫な身体とその心意気にいつも感心し、敬意を表しています。
 六大学リーグ優勝と38年ぶりの全国選手権で優勝した、その時に応援した喜びと感激、祝勝会に参加したこの機会に、明治大学への思い、六大学野球に対するこれまでの思いを記してみました。

国立地域支部 圓子 彰男


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